Winkなたわごと

15.息子、受験勉強 2005年秋
 息子のアルバムには、青空の下でサッカー部の仲間と写した写真を残し、
鏡の中の私の頬には、シミ、ソバカスを残して、義務教育最後の夏が去っていった。
 息子は、キーグロ(キーパー用グローブ)を外し、ボールを鉛筆に持ち替えた。
息子には、「高校へ行ってもサッカーをしっかりと続けたい」という目標があり、それなりの高校に合格しなければならなかったのだ。

 息子は、志望校を私立I高校の一校にしぼり、受験勉強をスタートした。
I高校は、ちょっと遠くて、通学が大変なので、私は、あまり賛成できない。
でも、これまで、まったく勉強に興味もなく、家で机に向かうこともなかった息子が、行きたい高校を目指して頑張っているのだから、私が、通学の不便なことを言い出して水をさすこともなかろう。

10月、
 息子は、サッカー部顧問の先生のはからいで、私立I高校のサッカー部の練習に参加し、ますます受験の気分を盛り上げた。

11月、
 私立I高校の推薦入試が可能なラインまで成績を上げた。
 「遠い」という点は、やはり心配だけれど、本人が決めて、実際、頑張って成績も上げたのだから、仕方ない。
 私立の推薦なら、一足先に合格通知をもらい、早くにほっとできるから、まあ、良いのかも。

 しかし、彼は、そこでとどまらなかったのだ。
 「公立A高校を受験したい」と、言いだした。
 それは、私立I高校の推薦よりも困難な選択だ。
 A高校のサッカー部員は100人、そして、自主性重視の進学校。スタメンになるのも、勉強するのも、両方大変なわけで・・・
 電車に乗って、バスに乗って、わざわざ大変なことをしに行かなくてもいいのに〜と、私は、思う。
 でも、行けると決ってもないA高校に合格したら・・・と、考えることすら、取り越し苦労かもしれない。
 とりあえずは、目標に向かってがんばることは、いいことだから、何も言わないでおこう。

12月、
 私立は、2校を一般入試で受験し、本命の公立A高校を推薦入試で受験することを決定。
 公立A高校の「一般入試、合格は難しい」と言われていた息子が、今では、「推薦でたぶん合格」という位置まで成績を上げていた。
 息子が頑張れたのは、「高校でもサッカーをやりたい」という気持ちと、そんな気持ちを理解して相談に乗ってくれた先生や、友人のおかげだろう。
 こうなってくると、私ものんきに構えているわけにはいかない。
 A高校に通学するとなれば、早朝の弁当作りが現実のものとなる。
 そして、中学時代は、ゴールキーパーとして、頼りにされ、当たり前のようにスタメンだったが、A高校では、そう簡単ではない。私は、努力をしても報われない息子を、見守ることになるだろう。
 時には、気持ちが荒れることもあるかもしれない。
 老婆心からか、不安なことばかりが頭をよぎる。

1月、
 公立推薦希望の用紙をもらってきたが、息子の挑戦意欲が、志望校を定めきれない。
 推薦でA高校に決めてしまうか、一般入試でN高校を受験するか、迷う。
 「サッカーをできる高校へ進学したい」と、勉強を頑張り続けた結果、とうてい行けるはずもないと思っていた超進学校のN高校が、射程可能な距離になっていたのだ。
 息子の志望校変更のたび、私は、心配事の内容が変る。
 N高校のサッカー部も、良い成績を残しているらしい。A高校に比べたら、スタメンになれる可能性はありそうだが、勉強重視の学校だと思うと、本当に息子に合っているのだろうか?と、不安だ。
 勉強についていけず、落ちこぼれてしまったら、サッカーどころではなくなり、腐ってしまうのだろうか?

1月26日、
 受験校最終確認の保護者会
公立は、A高校の推薦を辞退し、N高校を第一希望にし、I南高校を第二希望にして、公立を2校受験することにした。
 I南高校は、練習試合をした際に「ナイスキー!」と、対戦相手から言われた唯一のチームだった。
 N高校、I南高校、どちらも、自転車で20分の所だ。
 忘れ物をしたときや、体調の悪いときには、車でいけるので、安心だ。

2月8日、私立I高校入試。

2月9日、私立T学園入試。

 I高校、不合格。

2月11日、
 T学園から合格通知が届く。
 私が、「明日、朝一で入学金を入金する」と、言うと、夫が「入金しとくわあ」と、言った。

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